東都紙器工業はおかげさまで創業53年を迎えました。刻々と変わる時代の流れに影響を受けながらも、「いつの時代にも人々を魅了する化粧箱を」と化粧箱にこだわり、作り続けてきました。
今回は東都紙器工業の歴史を振り返ってみたいと思います。
注射器作りが出発点
東都紙器工業は昭和36年創業ですが、その前身となる会社があります。
現社長の祖父がその兄とともに新潟から上京したのは大正時代。
「東京硝子管製造株式会社」という注射器などのガラス管を製造する会社を創業しました。
注射器に精緻な目盛りを打ち、外筒と中筒がぴったりと重ねられ、ポンプの役割を果たすように作る技術を持つ「吹き工」はごくわずかしかおらず、日本特有の高度な技術として新聞にも取り上げられました。
戦後の自由競争に敗れ、東京硝子管製造株式会社を閉鎖
第二次世界大戦前より軍の指定工場となり、ガラス管の生産を続けてきましたが、戦後軍が消滅し、次第に自由競争についていけなくなっていきます。
時代に合ったものをと蛍光灯の生産にも踏み切りましたが、東芝や日立といった大企業に太刀打ちできませんでした。
そして、昭和28年、現社長の父が23歳の時に会社を閉鎖します。
これからは、紙の時代が来る!
そんなころ、東京硝子管製造株式会社の元従業員が紙箱の製造を始め、とても儲かっているようだという話を耳にします。
折しも東京オリンピック開催に向けた特需による高度経済成長期の幕開けの時代。
これからは世の中に商品がどんどん増えていく。商品を入れる箱は、軽くて使用後に折りたためる紙箱が主流になるのではないか。
先代の社長はそのように考え、昭和35年東都紙器工業を創業します。
都の東、東都(東京)で一番の箱屋になろう。
それまで手掛けたガラス管とは全く違い、技術もノウハウもないゼロからの挑戦が始まったのです。
(後編へ続く)